制作現場の裏側で
今回は音声ガイド原稿を制作する過程で、ディスクライバーが何をどのように、どのくらいの時間感で進めているのか紹介します。もちろん素材尺や映像が流れるプラットフォームが違えば全体にかけられる時間にはかなり差が出ますが、ディスクライバーが作業そのものにかける時間はいずれも同じような感じかと思います。
前の記事でディスクライバーの概要にも触れています。
よろしければこちらもご一読いただければ幸いです。
映像受領
音声ガイドの原稿制作の仕事は、まず映像を受け取ることから始まります。
現在、ワーク(作業用映像)データはほぼすべて、mp4やMOVなどといったデジタルデータで支給されます(もちろんいまだにDVDなどのメディアで支給される場合もあります)。
ちなみに、私が翻訳ディレクターを始めた18年くらい前は、ワークはすべて、VHSというテープメディアで支給されていました。たとえば長尺で納期がタイトな素材、という場合は複数の翻訳者に分けて発注するのが普通だったのですが、120分尺の映画であれば、これを人数分ダビングして近くのコンビニに持っていき各地に発送するというのが、手配の次に発生する面倒な仕事。今ほど物流体制も整っていなかったため、“夕方までに持っていけば次の日の午前着”などということもできず、少し地方にお住いの方となると、発送手続きから3~4日後にようやく到着というのが当たり前でした。
さて、現在に話を戻します。
発注元はワークをサーバーにアップするか、ファイル転送サービスを使って作業者に映像を送ることができます。一方、作業者は指定されたURLにアクセス、パスワードなどを入力して当該映像データをダウンロードするという仕組み。圧縮技術がずいぶん進歩しましたので、120分尺のmp4ワークで2GBないくらいです。アップロードに1分程度、ダウンロードも大体同じくらいです。技術の進歩は素晴らしいですね。
ここからはディスクライバーによって方法がいくつかわかれるようです。
PCにワークをダウンロードしたら、次の工程はセリフ起こしという方もいれば、まずは通しで映像を観るという方も。私は後者タイプです。
設計の目途をつける
もちろん、通しで映像を観るというのは音声ガイド制作者でなくても当然すべきことなのですが、音声ガイドの場合、これをセリフ書き起こしの前にやるというのは理由があります。
それは、映像を観たとき何を思うか? ということを初見の状態で把握するということ。
ほとんどの視聴者は、そのコンテンツに初めて触れるという状態でしょう。
ですから、ディスクライバーが初見で疑問に思ったことは、視聴者もまた同じく疑問に思う確率が非常に高いということになります。
ですから、初見の状態で映像を観ながら、都度 “この場面、おそらくガイドを入れなくてはダメだろうな”とか、“ここはガイドをセリフでサンドイッチしよう”とか、“この音は絶対に聴いているだけでは分からないだろう”という感じで、ここにどんなガイドをどれくらい入れるか(あるいは入れないか)、といった凡その見取り図を描いてしまうことが大事なのです。もちろん、これは後の作業を効率化するという目的もあります。
ただ、この段階ではセリフ起こしができていませんので、私は以下のようにメモを取りながら進めています。
例)
TC 場面 処理
04:25 城 SE♪シャキン)の前、「刀の柄に手をかける」、またはちょい後にして「鯉口を切る」あたり入れる?
※裏切り者! のセリフ後あたり目安。
セリフなどの書き起こし
さて、次にようやく「セリフ/きっかけ欄」の作成です。声優/ナレーターに対して、当該ガイドの読みきっかけを指示するという重要な役割がある欄ですが、ここには、登場人物のセリフのほか、読みのきっかけになりうるSE(効果音)や音楽などをすべて明記します。
こちらは、前の記事でも書いていますので参考にしてください。
セリフ起こし大好き! という人に私は今まで出会ったことがありません。長尺の映画になれば、これでほぼ丸1日取られてしまいますので、かくいう私も決して大好きというわけではありません。
しかし、これも、前の工程で描いたザックリ設計図を補強していくという大事な作業なのです。
セリフ起こしは耳に神経を集中させていますので、この段階で気になるセリフや物音、SEなどを拾えることが結構ありますし、何より役者のセリフを書き起こしていることで物語の理解が圧倒的に深まります。
たしかに、時間がかかって面倒な作業ではあるのですが、このあとの作業の効率化、ひいては原稿のクオリティーのことを考えると、セリフ起こしは音声ガイドの制作とは切っても切れない関係と言えるでしょう。
さて、こうした事前準備を終えたのち、ようやくガイド原稿の執筆に取り掛かります。
ガイド原稿の執筆
さて、ここからは一番のお楽しみ、ガイド原稿本文の執筆に入ります。“お楽しみ“と書きましたが、正しくは”生みの苦しみ“かもしれません。1日8時間集中して作業を進めたとしても、原稿が書けるのは映像尺10分ぶん程度が関の山。ときには、ほんの一言のために数時間悩むこともざらですから、”10分/1日“というのは、かなり甘い見積もりかもしれませんね…。そもそも、1日の作業時間が8時間ということもあまりないかもしれません。もちろんフリーランスと別の仕事との掛け持ちの方では違うと思いますが、フリーであれば1日20時間以上、原稿とにらめっこということもありますね。
ただ、一つ言えるのは、ガイドが決まったときの達成感。少し先になりますが、実際にガイドを聴いた人がアクションシーン終わりで、止めていた息を一気に吐き出している様を見たり、静かなシーンでガイドを聴いて涙を流していたりするのを見ると、苦しかったことはきれいさっぱり忘れてしまいますね。達成感と、自分の創造物で感動してくれる人がいるのを見る喜びと誇り。
モノづくりに携わるプロが味わうことのできる独特の感情かもしれません。
こうして、長い長い時間をかけて原稿が完成したら、いよいよ見直し作業です。
冷静に、第三者の目でチェック
見直し作業には、”第三者の目“が必要とよく言われます。
見直しというのは、読んで字のごとしで、初稿をディレクターに納品する前に、自分の原稿を自分でチェックする工程です。
ここでは原稿が出来上がったと思ったら、最終チェックの前に一晩寝かすことが理想。
大変な思い入れをもって仕上げた原稿は、いわば“真夜中のラブレター”状態。思い込みや断定、時には勘違いが入ってしまいがちです。それを防ぐために、せめて一晩、意識を当該コンテンツから離して、時間を置いて頭をリフレッシュしたのちにあらためて原稿と向き合うというのが目的です。
しかし、ただでさえタイトな納期で、セリフ起こしと一晩寝かすことに2日も使ってはいられません。
ですから、ここではいろいろな方法で頭をリフレッシュするのです。散歩の人もいるでしょうし、テレビを観たり音楽を聴いたりする人もいるでしょう。風呂に入ってもいいです。方法は何でもいいので、とにかく仕事とはまったく別のこととして一度頭を空っぽにします。
最低でも、1時間程度おくと、少しは猪突猛進モードが解けていますので、原稿を俯瞰で見ることができるようになっています。登場人物の名前を完璧にテレコにしていたり、色を取り違えていたり… 普通であれば絶対にやらないようなミスに気づき、冷や汗が出ることもしばしばです。
日本語表現についても同様で、俯瞰で原稿を眺めることによって、主語のねじれなどに気づくことも多々あります。
そして納品前にもう一つ大事なのが、尺の確認。
ホンイキで読む
尺とは“時間”のこと。音声ガイド原稿を制作するうえで“尺の確認”と言ったら、当該ガイドがセリフやSEなどの邪魔になっておらず、間(ま)に収まっているのを確認するということを指します。
音声ガイドの場合、納品物は「ナレーション原稿」ですから、作り手であるディスクライバーは、最終的に自分で原稿を読んで出来具合を確認する必要があります。
自分では細かく尺調整をしたつもりでも、ナレーション収録本番で声優/ナレーターが原稿を読むと尺が足りなかったり溢れてしまったりということがよくあります。多くの場合、本番想定で読んでいないことで、間などが狂うことに原因があります。
そのためディスクライバーは、チェックの際、ナレーション本番と同じような声のトーンで、できる限りプロの読み方に寄せて本番仕様で原稿を読むということをします。それを“ホンイキ”と言います。
ここまで出来たら、いよいよ納品です。
納品
また私の昔話になって恐縮ですが、原稿をFAXで納品するという時代がありましたね。まだ家庭にFAXがあるという時代ではなかったので、大体コンビニに行って送っていましたが、紙が詰まると最初から、全部送ったはずなのに1枚だけ届いていなかった… 等々、本当に大変な時代でした。
さて、回顧録はさておき、現代の納品はメールを使って行われます。
メールに原稿を添付して送信。
納品後のフォロー
しかしディスクライバーは、仕事が終わったからといって寝たり遊びに行ったりできるわけではありません。
ディスクライバーが原稿を納品すると、次に仕事を開始するのはディレクター。原稿監修者です。
ディスクライバーの原稿納品というのは、これから長く続く工程の始まりであって、終わりではありません。原稿を見たディレクターから内容確認の連絡が入ることがありますし、何らかの修正依頼がメールでくることもあります。調べものが足りなければ、追加で図書館や書店などで資料を探すこともあるでしょうし、原稿の内容を直すこともあり得ます。
外に出るにしても、すぐ連絡がつくよう携帯はいつも身近に、メールもクラウド管理は当たり前、いつでもメール着信に気づくことができるよう気を付けています。
納品後、数日間は予断を許さない状況が続きます。
余談ですが、私が翻訳ディレクターをやっていたときの話です。イタリア語の翻訳者さんに仕事を頼み、納品後、少しして問い合わせの電話をしたところ、その方は海外に行くところで空港にいらっしゃいました。さすがに、“そのようなご事情なら大丈夫!”と言ったのですが、問い合わせの内容がその場で対応できることではなかったことと、いかんせん言語がイタリア語で、余人にはまったく分からない内容だったことも察していただいたのか、“すぐに対応します!”と、こちらの制止を振り切って自宅に戻り対応してくださいました。
まさしく“The Professional”の姿ですね。自分の仕事と制作物に誇りを持っているのでしょう。正直、自分にこの覚悟があるかと聞かれると、絶対ある! と断言できるのかなと思ってしまいますが、せめて気持ちはこうありたいと思います…
さて、話を戻して… ディレクターのチェックが終わり次第始まるのが、第2稿の執筆。いわゆるリライトです。ここまでくると、一体いつ終わるの…? と思いますよね。
原稿のブラッシュアップ “リライト”
ディレクターは、それこそ穴のあくほど原稿を見て、日本語表現やストーリー構成などをチェックし、エクセル上にコメントをつけて返します。
原稿の出来具合によって、シートいっぱい真っ赤になって返ってくることもあれば、サラっと、“ここをもっとこうできないか?” とか、“ここのウラを取って”くらいで返ってくることもあります。チェックバックの分量や納期次第ではありますが、リライト(第2稿)は1日で返すのが普通。1日といっても24時間という意味ではなく、朝にチェックバックがきたら夕方あたりまで、夕方にきたら翌朝まで、あたりが目安かと思います。
リライトができたら再納品しますが、このあと、さらにディレクターのチェックが入って、第3稿、4稿… と果てしなく続く場合もあります。ちなみに私がディレクターとして経験したのは第6稿までです。
この工程で自分の原稿を劇場公開や配信などに耐えうる品質にまで磨き上げて、ようやくディレクター以外の人、映画製作者やモニターなどにお披露目という流れになります。
モニター検討会
劇場公開映画などの場合は特に、モニター検討会という工程が入ることがあります。モニター検討会とは、見えない・見えづらいという視覚障害者にモニターになっていただき、彼らの前で原稿を読み上げ意見を聞くという工程のこと。
目の前で自分の原稿の評価をされるようなものなので、いやがうえにも緊張が高まる工程です。
この場には、監督やプロデューサーなどの製作者が入り、解釈などの面で助言をいただくこともあります。
たいていの場合、お客様や発注元の会社のオフィスをお借りするなどして、ほぼ1日かけてディスカッションをしていきますが、ディスクライバーは必ず立ち合い、自分の原稿を読み上げます。遠隔地で参加できないという方はSkypeなどでつないで参加していただきます。
検討会で、製作者から“そこは晴眼にも分からなくていいポイントなので、ガイドでもぼかしておいてほしい”という指示が出ることもあれば、モニターから“画のイメージが浮かばない”といったような意見をいただくこともあります。それらを全部検討したうえで、スタジオ収録用の原稿「収録稿」を制作していきます。
スタジオでの音声収録
さて、いよいよ制作工程のラスト、スタジオでの音声収録に入ります。前にも書きましたが、スタジオ収録についてディスクライバーは立ち合い必須ではありません。
しかしスケジュールを何とか調整して立ち会う方がほとんどです。
立ち会う場合は、内容にもよりますが、30分作品で2時間程度、2時間程度の長尺モノで8時間程度、スタジオに拘束されます(もちろん入退場は自由)。
自分の原稿が最後に、どういう形になるのか、これを見ているのと見ていないのでは、次回以降の原稿質に大きく差が出ます。
また、収録時、声優/ナレーターからアドバイスをもらって、さらに耳触りの良い原稿にリライトすることもあれば、その場で原稿を修正することもたびたびあります。
なぜその修正が必要で、修正されることによって自分の原稿がどう変わったのか知るには、その場でリアルタイムに体験するのがもっともおススメです。ディレクターも忙しいですから、収録時の変更点をわざわざ伝えるということまではしてくれません。いつの間にか自分だけの感覚に頼って原稿を書く裸の王様にはなりたくないですしね。
平成も終わりに近づいた今、技術の向上で、劇場に足を運んだりDVDを借りに行ったりしなくても、Netflixなどを利用すれば自宅や外出先で気軽に音声ガイドを聴くことができる時代になりました。
しかし、それを作っているディスクライバーは、毎回こうした工程を経て、1本1本、丁寧に音声ガイドを制作しています。
コンテンツのジャンルやプラットフォームがなんであろうと、<言葉>という、形がなく常に変わっていくものへのチャレンジ、毎回違う作品に出合い、それを解釈していくという緊張感や体力との闘いなど、ディスクライバーは常にそうしたものと向き合っています。
そこに素材への“愛”がブレンドされて、最高の音声ガイドが生み出されるのです。
スタジオカナーレ代表 浅野一郎
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